「自由の国」を標榜しているアメリカですが、それはもう過去のことになってしまいました。アメリカで横行するポリティカルコレクトネスとは、いったいどういったものなのでしょうか?
「リベラル派」という極左に乗っ取られたアメリカ
私が渡米した90年代、「アメリカは自由の国」「誰でも成功への扉が開かれている国」「挑戦の国」と信じていました。実際、その通りでした。私はやりたいことを存分にやることができ、そして、日本での生活とは比較にならないほどの良い生活を手に入れることができました。
しかしながら、やがてこの「自由な国」アメリカは、言いたいことも口にすることができなくなり、言論の自由が大きく制限されるようになってきました。
それがいまよく耳にする「ポリティカルコレクトネス」です。直訳すれば「政治的正しさ」 となりますが、ほとんど言葉狩りのようなものに思えます。
その実体は、もはや我々日本人には「理解不能なレベル」になってきています。今やアメリカは、「リベラル派という極左」に乗っ取られてしまいました。
「”Man”という言葉を使わないように」と指針を出した米パデュー大学
インディアナ州にあるパデュー大学は、「MANという言葉は差別的だから使わないように」という指針を作ったそうです。
そして、大学の指針に同調した出版社の女性がFox Newsのインタビューにて、”Manhattan”という言葉にも不快感を示して、「Big Appleと呼ぶべきだわ」と答えています。
動画の後半では、男性キャスターが「それじゃあ、ゴールドマンサックスはGoldperson Sachsとでも呼ぶのか?」と尋ねたところ、この女性は「その方がいいわ」とニッコリして答えています。まあ、これは冗談だと思いますが・・・。
どう考えても日本の方が自由度が高いと思う
私はアメリカにはトータルで15年以上住みました。最後に住んだのが4~5年前ほどでしたので、トランプ大統領が就任してからどのように変わったのかは分かりません。
ただ一つ言えることは、「日本の方が自由である」ということです。これは何をもって自由というのかにもよりますが、日本においては言論の自由が保障されていますので、ヘイト的なことを言わないかぎり、だいたいのことは言えるでしょう。
ツイッターでろくでもない政治家の批判をするのも自由ですし、捏造報道を繰り返しているメディアを批判するのも自由です(批判内容が事実に基づくのであれば)。
また、夜の電車内で缶ビールを飲むのも自由ですし、昼間から公園でチューハイを飲んでも大丈夫です。しかし、こんなことはアメリカでは絶対にできません。
それはともかくとして、アメリカで流行りの「ポリコレ」は、日本では流行ってほしくないですね。日本語が持つ言葉の良さが失われますので・・・。
ところで我が国の野党議員とメディアは、相も変わらずでっち上げの「モリカケ問題」とやらで安倍政権を打倒しようとしています。これはこれでマトモな常識を持っている人から見れば、「理解不能なレベル」であると言えるでしょう。
モリカケ問題 一年以上やっているが結局総理や大臣の関与は出てこず、同じ内容を切り口を変えて、重箱の隅突いているだけなんですよね。加計は部が悪くなり、実際に開校するから、森友に戻っているだけの話 引き際を誤り引くに引けないんでしょうね。
— 渡邉哲也 (@daitojimari) 2018年3月4日
北朝鮮が日本に向けてバンバンとミサイルを飛ばしており、また、習近平が尖閣諸島を侵略することを明言しているにもかかわらず、我が国の野党6党は迫りくる危険などお構いなく得意の「批判理論」を振りかざして国家転覆を画策しています。
アメリカは核保有国とは事を構えません。日本国民はそろそろ覚悟を決めておいた方がいいですね。
最後は今回の記事の本題であるアメリカの話で締めくくりたいと思います。アメリカの言論社会はリベラル左翼勢力に支配されています。そのため、今回ご紹介した病的な「ポリコレ」に発展するようになってきました。
「アメリカは自由の国である」と信じて疑わない人には、ジェイソン・モーガン氏の以下の本を一読されることをおすすめします。我が国にアメリカのこのような状況を招き入れてはいけません。